作家の司馬遼太郎が、米軍が撤退した直後の1973年南ベトナムのサイゴン(現在のホーチミンシティ)を訪問しています。
司馬さんのベトナムの食文化を評した際のまなざしは、単なる異国の珍しい料理への興味ではなく、その食が育まれた歴史的背景や民族性にまで深く及んでいました。彼はベトナムの食を「日本人くさくて、ひどく植物的である」と表現しましたが、この簡潔な言葉の背後には、ベトナム料理が持つ極めて高い美食としての優位性、そして独自の発展を遂げた文化的知恵に対する深い洞察が隠されています。本稿では、司馬遼太郎の視点を起点とし、ベトナム料理がどのようにしてその美食としての地位を確立したのかを、三つの視点から深く考察いたします。

Source: 司馬遼太郎記念館
究極の「植物的なるもの」が持つ美食の力と日本的親和性
司馬遼太郎がベトナムの食を「ひどく植物的」と評した背景には、日本人の食の美意識との強い共通性が見いだされます。それは、肉や油に頼ることなく、野菜やハーブといった植物素材のみで、驚くほど豊かな風味と満足感を生み出す、高度な食の技術と哲学であります。
ベトナムの風土は、多種多様な香草(ハーブ)や、水辺で育まれる野菜、そして淡白な魚介を巧みに組み合わせることで成立しています。これは、西洋料理のようにバターや油を多用したり、濃厚なソースで味を覆い隠したりする手法とは異なり、素材そのものが持つ清涼感や旨味を最大限に引き出すことに主眼が置かれています。この「素材を活かす」という精神性は、日本料理が伝統的に重んじる「引き算の美学」と極めて類似しており、司馬さん自身がこの繊細さに「日本人くさい」という親近感を見出したゆえんでしょう。
特に、ベトナム料理が野菜や香草だけで、十分に美味しく成立し得るという極めて高い評価を得るのは、その調理技術と食文化の深さを示しています。彼らは、野菜やハーブ類を主役に据えながらも、魚醤(ヌクマム)やライム、唐辛子といった基本調味料の配合を絶妙に調整することで、肉や魚の有無にかかわらず、複雑で満足感の高い味わいを生み出すことが可能だからです。
ここで核となるのが、ヌクマム(魚醤)の存在です。ヌクマムは、日本の醤油や出汁(だし)が持つ「旨味」の役割をベトナム料理の中で果たしており、その発酵の風味が持つ奥行きと、他の植物素材との相性の良さが、料理全体の生命力を作り出しています。司馬遼太郎は、この植物を主体とした食文化の中に、自然の法則に即したベトナム人の精神性の高さを読み取ったのであり、美食とは、単なる食材の豪華さではなく、身近な自然の恵みを最高の技術で昇華させる日常の行為そのものであることを洞察しました。この繊細なアプローチこそが、ベトナム料理を高度な美食へと押し上げているのです。

ベトナム戦争下で露呈した「食の優劣」の対比と文化的な矜持
司馬遼太郎がベトナム戦争下のサイゴンで目撃した「食」に関する逸話は、ベトナム料理の美食としての優位性を、極めて対照的な形で示しています。当時、米軍が携行していたレーション(戦闘糧食)や基地で提供される食事について、ベトナムの人々が**「米軍の食べ物なんか食えたもんじゃない」「人間の食べ物じゃない」**といった言葉で評したという話は、単なる食糧不足や貧困の中で生まれた言葉ではありませんでした。
この言葉の真意は、ベトナムの伝統的な食事が持つ洗練された味と香りが、米軍の大量生産された工業的な食事とは、比較にならないほど優位であったという、味覚と文化的なプライドに基づく強烈な主張であります。
米軍の食事は、栄養とカロリーを最優先したものであり、新鮮さや繊細な風味といった要素は二の次でした。それは、工業的な効率を追求した「生きるためのエネルギー源」であり、ベトナムの食文化が大切にする「五感で味わう喜び」や「素材の生命力」といった美的要素が欠落していました。
これに対し、ベトナムの食事は、たとえ質素であっても、その土地で採れた新鮮な食材と、手間暇かけた出汁(だし)と魚醤の調和によって成り立っています。この食事は、五感を満たす生きた味を持っています。ベトナムの人々が「食えたもんじゃない」と切り捨てたのは、この「生きた味」と「単なる栄養物質」の間の埋めがたい文化的、味覚的な格差であり、自国の食文化に対する揺るぎない自信の表明であります。
司馬遼太郎は、このベトナム人の強い味覚と食の尊厳の中に、彼らの精神的な強靭さを見出したのであり、ベトナム料理を「美食家の国の食」として位置づけた根拠の一つになったと考えられます。これは、いかに厳しい環境下にあっても、食の質と美意識を決して手放さない、文化的な矜持を示すものであります。

南部の発展を支えた華僑の美食文化と融合の力
ベトナムが「美食の国」として発展した構造を考察する上で、特に南部サイゴンを中心とした地域における華僑(ホア)の影響は無視できません。歴史的に、中国南部から渡ってきた華僑の人々は、その商業的な活発さとともに、高度に発達した中国の調理技術と多様な食文化をベトナムにもたらしました。
この華僑の文化は、主に肉や油、そして豊富な香辛料を使った、濃厚で複雑な風味を特徴としています。ベトナム南部は、貿易や経済活動の中心地として栄え、華僑が持ち込んだ経済的な繁栄が、美食文化への需要を刺激しました。この経済的な潤いと、華僑が持つ洗練された技術が、ベトナム固有の「植物的なるもの」の文化、すなわち新鮮なハーブや米粉を主体とする軽やかさと融合した結果、ベトナムは、ベトナム全土の中でも特に美食文化が多様かつ豊かに進展した地域となりました。
例えば、ベトナムの麺料理であるミーやフーティウ、そして飲茶文化などは、華僑の食文化の影響を色濃く受けています。しかし、ベトナム料理の賢明な点は、それらをそのまま受け入れるのではなく、ベトナムの風土と味覚に合わせて「ベトナム化」させた点にあります。中国式の濃い味付けに、ベトナム特有のフレッシュなライムや唐辛子、香草を大量に加えることで、中国的な奥行きとベトナム的な清涼感が見事に調和した、独自の美食が生まれたのです。
この華僑の文化との融合は、ベトナム料理に技術的な多様性を与え、それが美食としての評価を決定づけました。司馬遼太郎がベトナムを「美食の国」と洞察したのは、この「固有の植物的美意識」という確固たる核を保ちながら、外部から入ってきた「華僑の高度な料理技術」や「フランスのパンや乳製品の文化」を柔軟に取り込み、すべてを自分たちの最も美味しい形へと昇華させてしまう、ベトナム人の文化的創造力に対する評価であったと言えます。この融合と昇華の能力こそが、ベトナム料理を単なる「おいしい料理」の範疇を超え、一つの卓越した「美食哲学」として成立させている最大の要因であります。
司馬遼太郎の洞察が現代に問いかけるベトナム美食の哲学
司馬遼太郎の視点を通して見えてくるベトナム料理の哲学は、「植物的な繊細さ」という固有の核を持ちながらも、「華僑の知恵」による技術的な洗練、そして「困難な歴史を乗り越え、それでも食の喜びと質を追求する強靭な生命力」という精神的な支柱によって成立しているということです。
現代において、ベトナム料理は世界的な評価を確立し、その多様なハーブと軽やかな味わいは健康的な食の象徴ともなっています。これは、彼らが持つ差異を認めつつ、それを尊重し、融合させるという文化的な柔軟性の賜物であります。司馬遼太郎が時代を超えて伝えたかったのは、ベトナムの美食が持つ、この文化と歴史に裏打ちされた強さと、普遍的な生命力であったと言えるでしょう。ベトナムの食が持つ、この「繊細で強靭な生命力」こそが、多くの人々を惹きつける真の魅力であると言えます。
