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日本にしか残っていないチャム族の痕跡『林邑楽』

奈良の春日大社や東大寺で奏でられる雅楽の音色を耳にすると、どこか南の国の風が吹くような、不思議な温かさを感じることがあります。
その理由のひとつが、ベトナム中部にかつて存在した古代チャンパ王国、つまりチャム族の文化に由来する音楽「林邑楽(りんゆうがく)」が、日本で今も生き続けていることです。

林邑楽は、世界中で日本にしか残っていない音楽です。
チャム族の王国が滅びてから何百年もの時が経った今も、その旋律と舞は、奈良の寺院や神社の儀式の中で静かに受け継がれています。

なぜ日本だけがこの音楽を守り続けることができたのか。
1300年前の奈良の都へ、少しだけ時間をさかのぼってみましょう。

目次

林邑楽とは

林邑楽とは、奈良時代に日本へ伝わった南方系の舞楽です。
「林邑」とは、中国でのチャンパ王国の呼び名で、現在のベトナム中部にあたります。
当時のチャンパは、インド文化と仏教、ヒンドゥー教を取り入れた海洋国家でした。
林邑楽はその国で生まれた宗教舞踊がもとになっており、インドのリズムと東南アジアの動きが交じり合った独特の音楽でした。

この音楽が日本に伝わったのは、奈良時代の中ごろ。
東大寺の大仏開眼供養(752年)で、初めて公の場で演奏されたといわれています。
このとき、演奏を指導したのが林邑出身の僧侶「仏哲(ぶってつ)」でした。

南の国から来た僧侶 仏哲

仏哲は、南インドの高僧・菩提僊那(ぼだいせんな)とともに唐を経て日本に渡り、736年(天平8年)ごろに奈良の大安寺に入りました。
当時の日本は、中国だけでなく海のシルクロードを通じて、南の国々からも文化を取り入れていました。
その中にあったのが林邑、つまりチャンパでした。

仏哲は、音楽や舞だけでなく、祈りの所作や梵字なども伝えたとされます。
彼が教えた音楽が「林邑楽」として形になり、のちに日本の雅楽の一部として受け継がれていったのです。

東大寺に響いた南の音

752年、東大寺の大仏開眼供養。
国の威信をかけた大行事には、唐や高麗、南海諸国からも音楽家が集まりました。
そのなかでも、異国の香りが最も強かったのが林邑楽でした。

林邑楽の曲目は、いまでも宮内庁楽部や春日大社で演奏されています。

菩薩(ぼさつ)は花を手にした菩薩が天上の慈悲を表す舞。
迦陵頻(かりょうびん)は極楽に棲む鳥を表す舞。
抜頭(ばとう)は魔を祓い、空気を清める力強い演奏。
陪臚(ばいろ)は儀式の始まりを告げる荘厳な行進曲。

これらの舞と音が奈良の空に響いた日、日本は南方世界と確かにひとつにつながっていたのです。

チャム族の文化が日本に残った理由

チャンパ王国のチャム族は、インドの影響を受けながらも、独自の文化を築いた民族でした。
彼らの音楽や舞は神への祈りであり、寺院で奉納される神聖なものでした。
林邑楽の舞の型や手の動き、身体の反り方などは、いまでもチャム族の舞踊に似ています。
奈良で舞われた林邑楽にも、同じ南方のリズムと祈りが息づいていたのでしょう。

しかしチャンパ王国は15世紀にベトナムの大越に滅ぼされ、多くの寺院と文化が失われました。
チャム族の音楽や舞踊も、そのほとんどが姿を消しました。
けれども日本では、東大寺や春日大社の舞楽の中に「林邑楽」という名で記録され、国家儀礼の音楽として守られていったのです。

日本の雅楽は、チャンパの文化の記憶を保存する役割を果たしていました。
今ではその旋律が残るのは、日本だけです。

海の道がつないだ文化

林邑楽の存在は、日本と東南アジアの関係を見直すきっかけにもなります。
日本は唐との往来だけでなく、海を通じて南の国々とも深くつながっていました。
奈良の都に南の音が響いたという事実は、古代の日本がどれほど開かれた文化を持っていたかを物語っています。

海を越えてやってきた音楽が、日本で千年以上も息づいている。
それは、異国の文化を拒まず、むしろ自らの中で育てていく日本人の感性の表れでもあります。

現代に残る林邑楽

いまも林邑楽は、日本の雅楽の中で静かに奏でられています。
春日大社では「菩薩」や「迦陵頻」の舞が奉納され、東大寺の行事でもその調べが響きます。
1300年前の南方の祈りが、今も奈良の空気の中で息をしているのです。

奈良では、林邑楽をテーマにした国際文化イベントも開かれています。
ベトナム大使館も公式に「日本に残るチャンパ文化の遺産」として紹介し、ベトナムの研究者たちも注目しています。
日本にだけ残されたこの音楽が、再びベトナムと日本をつなぐ架け橋となっているのです。

チャンパ王国の代表的な遺跡 ミーソン遺跡

日本が守り続けた南の祈り

1300年前、奈良の都に吹いた南の風。
それが、チャム族の祈りを音に変えた林邑楽でした。
チャンパ王国が滅んでも、その音は日本で守られ続けました。

雅楽という形で残ったのは、音そのものではなく、人が文化を大切に受け入れ、守り、伝える力だったのかもしれません。
日本にしか残っていないチャム族の痕跡、林邑楽。
それは、東南アジアと日本が昔からつながっていたこと、そして日本が異なる文化を温かく受け止めてきた国であることを教えてくれます。

奈良の春日大社で響く笛の音。
その一音一音の中に、はるか南の国の祈りが生き続けています。

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