インドネシアを旅行すると、どの地域でもチキン料理の味が安定していることに気づきます。
観光地のレストランでも、地方都市の食堂でも、チキンを選べば大きく外れることはありません。
この「安定した美味しさ」は、偶然ではなく、宗教、経済、地理的条件など、いくつもの要素が重なって形成されています。

宗教と食文化の関係
まず、インドネシアは世界最大のイスラム教国です。
イスラム教では豚肉を食べません。
さらに、牛肉は高価で日常的ではなく、羊や山羊の流通も限られています。
こうした背景の中で、宗教的に問題がなく、価格も手頃で、どの地域でも手に入るチキンが、日常の主要な食材となりました。
そのため、チキンは宗教行事や家庭料理の両方で使われます。
特別な日だけでなく、日常的な夕食にも登場します。
宗教的な規律の中で、すべての層が共通して食べられる肉であることが、チキンを「安心できる食材」にしてきました。
特にジャワ島やバリ島など人口の多い地域では、食文化の中心に位置づけられています。
また、家庭では調理の前に祈りの言葉を唱えてから鶏をしめる慣習があり、食べるという行為が信仰の一部として定着しています。
このように、宗教と食事が分離していない点が、インドネシアの食文化の特徴です。
言い換えれば、食べものは単なる栄養ではなく、日常の中の秩序として存在しています。

地域ごとに異なる調理の特徴
次に、チキン料理の味は地方によって明確に異なります。
ジャワ島では甘辛い味付けが多く、砂糖と醤油のバランスを重視します。
一方、スマトラ島では唐辛子とスパイスの量が多く、辛味の強い料理が一般的です。
さらに、スラウェシ島やバリ島ではココナッツミルクを使い、油分を多くして香りを引き出します。
こうした違いは、歴史的な交易の影響を受けた結果です。
代表的な料理には、アヤム・ゴレン(鶏の素揚げ)、アヤム・リチャリチャ(トマトとチリの炒め煮)、アヤム・バカール(炭火焼きチキン)などがあります。
そして、どの料理にも共通して使われるのが、ターメリック、ガーリック、コリアンダー、ショウガ、レモングラスなどの香辛料です。
これらを石臼でつぶし、ペースト状にしてから下味に使います。
香辛料の配合は地域や家庭によって異なりますが、防腐や殺菌の役割も兼ねており、気候条件に合った調理法といえます。
さらに、火加減に対する意識も高く、肉の部位によって調理方法を変えます。
もも肉は煮込みに向き、むね肉は揚げ、手羽はグリルにします。
いずれの料理でも、肉が乾燥しすぎないよう注意が払われています。
これらの積み重ねが「どこで食べても一定の味」に結びついています。
また、観光地では外国人向けに辛さを抑えたチキン料理が出されることもありますが、調理の基礎部分は変わりません。
味付けの方向性は地方ごとに違っても、火入れと香辛料の扱いに統一された文化的基準があるため、全体として安定した水準が保たれています。

生活の中で根づくチキンという食材
最後に、インドネシアではチキンが特別視されることはなく、日常の一部として扱われます。
家庭では週に数回はチキン料理が食卓に並びます。
また、都市部では調理済みのチキンを購入する人も多く、地方では朝に生きた鶏を買い、午後に調理する家庭もあります。
どの形でも、チキンは生活の時間の流れの中に組み込まれています。
このように、食文化の安定は、生活の安定を反映しています。
宗教的に問題がなく、入手が容易で、調理しやすいという条件を満たす食材が長く使われるのは自然なことです。
したがって、チキンが「失敗しない料理」として定着しているのは、社会構造の中で選択の余地が少ないからではなく、
人々の経験の中で「扱いやすい食材」として共通理解があるからです。
また、旅行中、食事に迷ったときにチキンを選ぶという行動は、
現地の人々の生活習慣に倣うという意味で合理的です。
異国の文化に溶け込む最も簡単な方法が、現地の人と同じものを食べることだからです。
チキンを選ぶという小さな選択の中に、宗教、経済、歴史、生活すべての層が重なっています。
さらに、インドネシアでは味が安定しているという理由だけでなく、社会的・宗教的にも安全であるという感覚が共有されています。
食材としてのチキンは、国民全体が共通して受け入れられる“中立的な存在”です。
そして、この中立性こそが「外れない」という感覚を支えています。
