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ホイアンのカオラウは伊勢うどんが発祥?

そんなわけないだろう、というお話…。


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カオラウにまつわる“日本由来説”というロマン

ベトナム中部の古都ホイアン。
灯籠の灯りがゆらめく夜の旧市街を歩くと、甘く香ばしい湯気が漂ってきます。
屋台から食堂までどこでも見かけるのが、名物料理「カオラウ(Cao lầu)」。
太く弾力のある麺に豚肉、香草、揚げせんべいをのせ、スープのない“混ぜ麺”として知られています。

そのカオラウには、少し不思議な説が語られてきました。
「日本の伊勢うどんがルーツらしい」というものです。
日本人町があったホイアンの歴史、そして見た目の似た太麺。
この2つが組み合わされ、観光ガイドや一部のメディアで“日本由来の麺”と紹介されることも少なくありません。

でも――本当に伊勢うどんがカオラウの起源なのでしょうか。
少し冷静に考えてみると、この説には無理が多いのです。

材料から見ても“別物”の麺文化

まず、原材料の時点でまったく違います。
伊勢うどんは小麦粉で作られるうどん。長く柔らかく茹で上げ、濃厚なたまり醤油だれをかけて食べます。
一方、カオラウの麺は主に米粉を使い、そこに「灰水(灰を溶かしたアルカリ性の水)」を加えて練る独特の製法。
そのため色がやや黄褐色になり、コシが強く、表面が少しざらつくのが特徴です。

さらに伊勢うどんはとろけるような柔らかさが命ですが、カオラウは歯ごたえを楽しむ麺。
食感の方向性がまったく逆なのです。
これを“似ている”とするのは、少し強引といえるでしょう。

時代のズレと「伊勢うどん」の新しさ

もう一つの重要な点は、時代の整合性です。
ホイアンに日本人町があったのは17世紀初頭のこと。
朱印船貿易の最盛期には数百人規模の日本人が暮らしていました。
そのころに日本から麺文化が伝わった可能性は、確かに理論上はあります。

しかし、「伊勢うどん」という名前と食べ方のスタイルが確立したのは、意外にも近年です。
三重県の資料によると、「伊勢うどん」という呼称が広まり始めたのは昭和30〜40年代以降。また、伊勢うどんのルーツといえるうどん屋が“開業”したのが17世紀のことです。
つまり、この時代に「伊勢うどん」が今の形で普及していたわけではありません。

したがって、17世紀にホイアンへ“伊勢うどん”が伝わったというのは、時間の流れからして無理があります。
もし伝わるとすれば、せいぜい「日本の小麦麺文化」程度の話。
それを特定の地方料理である伊勢うどんに結びつけるのは、後世のロマンと見るべきでしょう。

麺のルーツをたどれば中国南部に

食文化の伝播をたどると、カオラウの源流はむしろ中国南部にあります。
福建・広東地方から東南アジアへ広がった“汁なし麺”の系譜です。
華僑の移住や交易を通じて、ベトナム中部にも多くの麺文化が伝わりました。

特に福建料理にある「撈麺(ラオミェン)」や「拌麺(ばんめん)」など、具材を混ぜて食べるスタイルは、カオラウにそっくり。
この“混ぜて味わう麺”の発想こそ、カオラウのDNAに近いと考えられています。

さらに、ホイアンで使われる灰水の製法や、上にのる五香粉で味付けした豚肉も、中国料理の技法と共通しています。
つまりカオラウは、日本というより“南中国から伝わった麺文化をベトナム風に進化させた料理”と考える方が自然なのです。

ホイアンの“融合の街”が生んだ味

とはいえ、「日本の影響がまったくなかった」と言い切るのも早計です。
17世紀のホイアンには、実際に日本人町が存在し、現在も「日本橋(来遠橋)」としてその名残が残っています。
交易の中で、調味料や食器、乾物などが行き交っていたことは確か。
食の文化が何らかの形で交流していた可能性は十分にあります。

ホイアンは古来より、中国、ベトナム、日本、ヨーロッパなど、多様な文化が交差した港町でした。
その中で育まれた料理は、単一の国の文化から生まれたものではなく、“混ざり合い”の結果です。

カオラウもまた、そうした混合文化の象徴といえるでしょう。
中国の麺技法にベトナムのハーブ文化が溶け込み、そして日本の「だし」や「しょうゆ文化」がわずかに影響していたとしても不思議ではありません。
だからこそ、「伊勢うどん発祥説」は、史実としてではなく“交流の象徴”として眺めると、少しロマンチックに感じられます。

“伊勢うどん由来説”を楽しむもうひとつの見方

この説を完全に否定してしまうより、「なぜ人はそう思ったのか」を考えるのも面白い視点です。
たとえば、カオラウの麺は太くて短めで、見た目は確かに日本のうどんに似ています。
味も控えめで、上にのる具材を生かす点もどこか日本的。
さらに、ホイアンの静けさや町の雰囲気が“和”の要素を感じさせることもあり、「日本の料理っぽい」と思う観光客が多いのも自然なことです。

つまり、伊勢うどん説は“味の記憶の似ているところ”から生まれたものかもしれません。
遠い異国の地で、どこか懐かしさを覚える。
そんな感覚が、「これは日本に似ている」という物語を作り出したのでしょう。

「そんなわけない」が、ロマンをかきたてる

実際のところ、カオラウが伊勢うどんを起源とする証拠は存在しません。
材料も製法も時代背景も異なり、科学的・歴史的に見ても一致しない部分が多すぎます。

ただ、ロマンをかき立てるのは、それだけホイアンという町が、日本とどこか似た静けさや優しさを持っているからです。
その空気の中で食べるカオラウが、日本のうどんを思い出させる――
それはきっと、料理そのものよりも、“文化が通じ合う瞬間”に人が感動するからでしょう。

ホイアンのカオラウは、伊勢うどんではありません。
でも、かすかに通じ合う味の記憶が、ふたつの国の心を結んでいる。
そう考えると、この俗説もあながち悪くないのかもしれません。

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